あとがきにかえて

 28年生きてきて、実のところ、初めて長編物語を完結させました。
物語を妄想したりする人は世の中に数多くいると思います。
おそらく、物語に触れたことのある大部分の人はそうなんじゃないかなと思います。
そんな人の中で、実際に妄想でも物語をしっかり完結させることができた人は
どれだけいるのかなあ、と考えると、これがすごいことなのかそうでもないことなのかは、
正直よくわかりません。
 少なくとも、自分でやったことの尻拭いはできた、という感慨はあります。
物語を語る、ということは、その物語世界に責任を持つ、ということだと考えています。
語り始めた以上は、どんな形であれ結末を持たせなくてはならないということです。
それが、物語の受け取り手のみならず、物語世界の住人に対しての、せめてもの礼儀なのでは
ないでしょうか。
もしあなたが、実体の無い物語世界の住人に対して責任を持つ必要など無いと考える人なら
別にそれはそれでいいのですが。
 つまるところ、この「時-ぬくもり-ある限り」は、僕がこれまで妄想してきた、
しかし、完結させることができなかった全ての物語の上に成り立つ物語であり、
僕の無責任な妄想のために寄る辺を失った物語住人の墓標であり、存在証明であります。
世に溢れる物語にも、原作者にそのつもりがあろうと無かろうと、その裏で必死に叫ぶ
物語世界の亡者の姿があります。
 人が何故物語を語りたがるのか、人は何故表現したがるのか…
一言で語ることはできませんが、恐らく理由の一旦として、物語世界の亡者達の叫びが
我々の口や手に訴えかけてくるからなのかもしれません。
我々は果たして、そんな物語世界の亡者達の期待に応え切れているのでしょうか?
明日も果たして自分の下に彼らの叫びが届いてくれるでしょうか?
そして、今日も、新たなる物語世界が生まれ、そして密かに消えていく住人がいます。
新たな叫びを上げながら…

2008 ようやく手に入れたえうえうの箱を眺めながら ゑびす

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