◆ 男を路地裏に追い詰めたのは、あれから何時間経ってのことだろう。 日はすっかり落ち、ネオンが光り始め、街は夜の姿を表そうとしていた。 「随分と時間がかかったな」 私は、男の言葉にただ黙っていた。 「息は切らしていないか、まあいいだろう」 男の方も男の方で、見た目の年齢からして、運動をするのは楽ではないだろうに、 全く息を切らした様子が見られないばかりか、今まで走ってきたのがまるで幻とでも言う様に、 いきなり私に飛びかかってきた。 私はとっさに身を引くと、男はいつの間にか私の背後に回り、私の足をローキックで刈った。 私は、崩れる身を利用して、ナイフを握る右手を加速させ、男の首を狙う。 ガシッ 男は私の手首をがっちり掴み、つり上げ、もう片方の手で、私の服の腹の部分を握り、 そのまま壁に投げつけた。 私は、うまく身をさばき、足から壁につくと、男にめがけ…!? いない!? 突然私の首根っこを何かが掴む。 そのまま路面に体を押し付けられる。体が動かない…殺さなきゃ…この男を殺さなきゃならないのに、 体が…体が動かない…! 「よく訓練されてはいる。だが、あまりに殺しに特化した技だ。動きがあまりに単純すぎる。 そんなもの、武術とはとても呼べんな」 「殺さなきゃ…この男を殺さなきゃ…」 「俺を殺さなきゃ、何だ?」 「叱られる…」 「では、俺を殺したら?」 「褒めてくれる…」 「お前は褒められるために殺しをしているのか?」 「うん…」私は頷いた。 「ならば、俺が褒めてやろう。先程の、あの男を殺した動き、あれは素晴らしかった。 お前には、武人としての素質が大いにあるな」 「あなたが、私を褒めてくれるの…?」 「ああ、何なら、俺の為に働いてくれるのならば、もっと褒めてやってもいい」 「でも、組織の人達が…」 「お前を狙って殺せるような奴は、そうはおらん、それに、俺ならお前を守ってやれる」 私を守ってくれる…その言葉に、私は、今まで感じたことの無い何かを感じた。 「俺の名は、前田、前田堂座。お前の名は?」 「…私には、名前が無い…」 「そうか、ならば、お前の名は『ユキ』としよう、季節外れではあるが、夏の日差しに解けぬ雪も、また乙だ」 「ユキ…私の名前…」 私は、胸の中の何かが消えるのと同時に、何かが生まれるのを感じた。 私はこの人に褒められたい、もっともっと、褒められたい! 多分、その時初めて、私は、演技では無い、本当の笑顔になった気がする。
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